夜が明けてじきに太陽がギラギラと照りだした。
 すべての色を秘めて白く、眩しく。



   【光を持つ者たち】





、本当に大丈夫か?」
 目的地に着いたことを知った私は、身重のニコラを馬車の中に残して外に出てきた。少しでも役に立てることがないかと思ったからだ。
「こんな危ないことしなくていいのに」
「平気よ。無茶はしないし。ちょっとくらいなら体術も心得ているし」
 心配するコンラッドに私は笑って答える。言葉に嘘はなかった。確かに簡単なことじゃないけれど、いざというときにまったく身を守れないわけじゃない。それに、グウェンダル閣下の方も脱獄するために人手を割かなくちゃいけないから、ただでさえ人数少ないし。

 それにね。
「伊達に一人旅をしていたわけじゃないよ。……最終手段、あるから」
「え? それは……」

「コンラート、もういいだろう」
 それを近くで聞いていたヴォルフラム閣下が、腕を組んで背後の木に寄り掛かりながら呟いた。私とコンラッドは揃って同じ方向を向く。
が強情なのは今更なことだろう。好きにさせろ。どうしても不安なら、お前が守れ」
 当然のように放たれた意見に、私は目を見開いた。何も言うことができない。軽く受け流せばそれはそれで済むのに、それさえできなかった。

 代わりにコンラッドの方が口を開いた。
「……ヴォルフ」
「なんだ」

 と言っても今までの話題ではなく。
「寄り掛かっているの、サボテンだ」
 悲鳴をあげてから両手で口を押さえる。ここはもう陛下の居る施設のすぐ近くで、あんまり騒いだら気づかれるからだ。そんな閣下の服の上から二、三十本、頑丈な針が刺さっていた。

「そういうことは早く言えっ」
「知ってるだろうと思って」
「……まだ服だけで良かったですね……」
 もし頭までのけぞっていたら大変だ。ギャグどころでは済まされなくなる。

「ひょっとして気にしてるんですか? 陛下とグウェンダル閣下のこと」
「気にしてなどいない! なんなんだ、は何かに付けてそれを理由にしたがるんだな!」
「だってそれくらいしか思いつかないんですもん」
 真顔で返すと、閣下は脱力したようにうなだれると、大きくため息をついた。コンラッドは苦笑しながらやり取りを見つめていた。陛下奪取のため夜を待つという緊迫した状況のはずなのに、いつの間にか場が和んでしまっている。…おかしいな。

 こうして私の問題発言の件はうやむやになりかけた。

 それなのに、最終手段……『力』を使う瞬間は、もうすぐそこまで来ている。



       *       *       *



 どーん!
 高い塀の内部から、爆発音と悲鳴が流れてくる。外壁で施設を守っていた兵士達が次々と内部に戻り始めた。
「なに……? この感じ」
「何かあったらしい。暴動か、反乱か……陛下の身に危険が及ばなければいいが」

「……違う」
 コンラッドの呟きを、ヴォルフラム閣下が地面に膝をつきながら訂正した。俯いた顔の半分を右手で覆っている。
「……こんな法力に満ちた場所で……強い魔力が操れるはずが……」

「判るのか?」
「魔力が発動してる。強大で、しかも凶悪な……もしかすると醜悪な感じの……待てよこれは、以前にどこかで」
 私達はほぼ間違いなく、同時に前回の旅での出来事を思い出した。ありとあらゆる生き物の骨が動き回る、そう簡単に思い出したくない光景だ。

「まさか、危険が及んでいるのは陛下の方じゃなくて……」
「まさかじゃない。絶対だ」
 どちらかというと否定して欲しかったのに、ヴォルフラム閣下は自信たっぷりに頷いた。
 ……大変だー、行かないと!



 敵地への侵入は驚くほどあっさりとできた。相手は様子を見に行きたくて気もそぞろだったから。
 小高い岩山を回り込んだ反対側に、騒ぎの原因はあった。

「あーあ陛下、やっぱり……」
 私達から見て仁王立ち、というよりモデル立ちしている陛下は、ヘーゼル色のコンタクトが外れている目をらんらんと輝かせていた。怪我とかしてないようなのは良かったけれど、よりによってこんなときに黒眼ばっちり。
「もう今から誤魔化し利かないよね……」
「止めようとしたって無駄だしな」
 コンラッドはもう腰を据えて見守る姿勢だ。ヴォルフラム閣下も呆れて眺めている。

「……無償の愛に命を捧げ、健気にも男を信じた女に対し、褒めるどころか鞭打って冷酷非道な国家の仕打ち……」
 陛下は外国人ファンの意外と多いニホンの時代劇口調で語り掛けた。きちんとナマを観るのは初めてだ。なんかかっこいー。
「ともに逃げんと誓った者も、我が身かわいさに女を売ったという。そもそも男女のわりない仲は、おなご一人では為し得ぬもの。だのに、か弱き身ばかりに罪を負わせ、寄せ場送りとは何事か!」

 真の恐怖は他人の試練ということで、のんびり感想を呟いてみた。
「これがあの有名な歌舞伎……」
「いや、厳密にはちょっと違うと思うけどね」
「感動モンだなー。今までちゃんと観なくって残念」
「なんだ? もしかして、ぼくを差し置いてよからぬ感情を抱いているのか!?」
「よからぬって何ですか、よからぬって」
「あれ、なんか新しい小芝居が混ざったみたいだな」

「――物を壊し、命を奪うことが本意ではないが……やむをえぬ、おぬしを斬るッ!」
 陛下の厳かな叫びが辺り一帯にこだまする。
 そしてやがて、死人に似た泥人形が次々と地面から生まれてくる。



 ありったけの兵士と女性たちを阿鼻叫喚させた大魔術は、まさかこれはやばいんじゃないかと思うくらいに絶好調だった。
 あまりに強大過ぎて、さあどうやって止めようかと私達が悩み始めた頃、馬でものすごいスピードで陛下の傍まで近寄った人物がいた。無事に脱獄できたグウェンダル閣下だ。

「なにを、して、いるっ」

 馬から飛び降りた閣下は陛下の襟首を躊躇いもなく締め上げると、腹に据えかねていそうな声音でそう呟いた。陛下、上様モードにも関わらず揺さぶられっぱなし。それでも威厳さを失わないのはご立派だわ。
「そなたが何者かは……存ぜぬが……」
「この辺りで止めておけ。いいなユーリ、この馬鹿げた人形を戻せ」

「身を挺してまで余を諌めようとは天晴れな覚悟。致し方ない、この場はそなたの忠告に免じて……場を収め……よう……」

 言い終わるか終わらないかのタイミングで陛下がふにゃりと脱力する。
 グウェンダル閣下は満身創痍で余力が無いし、ヴォルフラム閣下は嫉妬で目が眩んで動けない。
 だからコンラッドが陛下を受け止めて、騒ぎは急速に収束へと向かった。



       *       *       *



 この事件のおかげで随分たくさんのスヴェレラ兵士や看守が施設から逃げ出した。無理もないと思うけれど。…悪夢からも逃げられるといいね。

 今、こんな荒らされ放題、プロの墓泥棒も真っ青な状態のここに残っているのは、私達魔族組と、敢えて逃げ出さずにいる女性達。
 そして逃げ遅れた二人の施設関係者。トグリコル氏と彼の小さな息子ネロだ。どうやら視察に来ていたらしい。この親子は、目を開けながらも呆然としていて、力なく大きな岩に寄りかかって座り込んでいた。ここから逃げ出そうなんて考えには、まだ辿り着けていないみたいだった。

 それをちらちらと確認しながら、私はニコラの様子を見に行ったり、いろんな簡単な雑用をこなしていた。ここにはまた追っ手が来るだろうから、脱走をする準備をしなくちゃいけなかったからだ。

 このまま何事もなく眞魔国に帰れそうになって、正直ほっとしていた。
 そう、ある女性を見つけるまでは。



 その人は何かを包んでいる布を大切そうに抱えていた。でも、すごく顔が青ざめていた。悄然っていうのかな。大魔術を観たせいもあったのかもしれないけれど、それだけじゃないような、どこか危うい印象で。途方に暮れたようにポツリと物陰に座っていた。だから見逃さずに済んだのかもしれない。

「どうかしましたか?」
「え……」
 声を掛けると、一瞬驚いて、その後躊躇うような表情になった。私が魔族だから迷ったのだろう。

「その包みは……姿勢からして赤ちゃんですか? あなたの?」
「――あ。は、はい。そう、なんです……」
 その人は掠れた声で反射的に答えてから、顔をくしゃくしゃにして泣きそうになった。息遣いも震えている。

 すごく不安になった。どうしてこの人、こんな顔をするの……?
 周りの騒音がなくなった気がした。無意識に緊張していたと思い当たったのは、この随分後だ。

「具合、悪いんですか? 診せてもらえます?」
「……ぇ」
 だから、反応の鈍い彼女の隙をついて、赤ん坊を覗き込ませてもらった。思い切って。

 本当はわかっていたんだと思う。ここは、許されないと考えられている恋をした女性たちが集められている場所。「許されない」子供を身籠っている可能性ももちろんあるわけで、そんな子供が産まれてくる可能性もあるわけで。
 母親でさえ過酷な状況にいるのに、恵まれた環境であるはずがない、ここは。

 赤ん坊の具合は悪いなんてものじゃなかった。

 かろうじて生きている命。
 微かに息はしている。けれど両眼も口も閉じたままで、皮膚はすっかり乾いている。たぶん私のよりもカサカサだ。それだけじゃない。

「こんな……」
 右腕と右足が、変な方向に曲がっている。生まれつき、とはとても思えない。

「ちょっと待って!」
 偶然手元にあった皮袋を開けて、綺麗な布に水を湿らせた。赤ちゃんの口に近づけて一口だけ吸わせた。そして慎重に体を拭く。母親から取り上げるわけにはいかないから、簡単にだけど。

 大丈夫だから。そう訴えかけるように母親に微笑みかけてから、自分の手に神経を注いだ。微かに緑色に色付いた光が生まれる。癒しの緑。私に出来る、役に立つ特技。
 光。たとえ完治はできなくても、きっとこの子には届くよね。


 なんでこんなことになってるの。

 赤ちゃんを見つめるうちに、そんな言葉ばかりが浮かんでは消えていった。どうしてこんなことをされるの。
 私はこの世界で随分生きているはずなのに、まったく想像しなかったわけじゃないのに、やっぱり悔しかった。

 こんなのいけないでしょ。陛下もわかるでしょう? 今は気を失っている主に問い掛ける。陛下だったらきっと怒りますよね。ああ違う、これを見たから今回の事になったのかもしれない。そういえば上様モードのときに言われていた気がする。何かを生きながらにして埋めるなって。このことだったの?

 許せない。この人たちが「許されない」のなら、あの人たちは……。


「ふん、まだ生きていたのか」

 嘲るような声に振り向くと、トグリコル氏が後ろに立っていた。いつの間にか気力が回復したらしい。

 ちょっと信じられない。
「そんな状態じゃあ、死んじまった方が楽だろうに。なぜ生かす」
「……あなた、まだ懲りてないの?」
 それとも恐怖があり余って、忘れてしまったの?


 異変に気づいたのか、コンラッドが近寄ってくる気配がした。でもそれに応える余裕なんてなかった。心なしか息が、苦しい。

 トグリコル氏は続ける。
「お前ら魔族がどうほざこうが、こいつらの罪は罪のままさ。ここで大人しく宝石掘ってりゃあいいものを、無駄に修築費がかかるじゃないか。どうしてくれる」
 なにそれ。やめて。
「スヴェレラの男は優秀だからな。どこに逃げたって女なんてすぐに捕まる。男をたぶらかすような邪悪な女なんて」
 ききたくない。そんなの、……ききたく、

「――――っ!」
 頭に血が上った。ここ久しく無かったくらいに、目の前がくらっとなって。





 ふらりと自分の足が動いていくのを、他人事みたいに感じた。暴言を吐いた人物の所までゆっくり進んだ。

 左手が持ち上がって、顔の前辺りまで来る。トグリコル氏の目前に翳される。

「な……何を……」

 それまで余裕を見せていたのになぜか引き攣ったような顔をした。嫌な予感がしたのかな。それとも私に、驚いたのかもしれない。

 私は何も言わなかった。正確には、話さなくてもいいんだと思っていた。

 だって何もわからないもの。ただ、一言だけ呟いた気がする。

「邪悪って、なにか知ってる?」

 少なくとも決して、誰かを好きになることじゃない。

 そして。

 紫の光が一瞬閃いた。



       *       *       *



 トグリコル氏は短く悲鳴を上げてその場に倒れ込んだ。体はぴくぴくと痙攣していて目は虚ろだ。
 急に目が覚めたようになって、私は視界に映っている掌をまじまじと眺めた。ひどく頭がぼんやりしている。おまけに体も鉛のように重い。踏ん張っていないと、その場に座り込んでしまいそうだった。

 その事実の一つ一つが、嫌でも実感させる。細胞の一つ一つまで。
 私は、『力』を使ってしまったのねと。

「世話ないや」
 小さく呟いてから、しゃがみこんでトグリコル氏の背中を思いっきり叩いた。びくりと大きく震えて、トグリコル氏の目の焦点が正常に戻った。
「……わかった? 邪悪なこと」
 一呼吸後、こくこくと慌てたように頷かれる。私は仕方なく口だけで笑い、大儀にまた立ち上がってその場を離れた。一刻でも早く離れたかった。
 一人になりたかった。自己嫌悪で落ち込みちゃいそうだったから。



 それなのに。
「……ついて来ないで」
 しばらく歩いてかなり静かな所まで来た私は、振り返りもせずに後ろへ語り掛けた。やがて躊躇うような声が返ってくる。
 コンラッドだった。
「でも、。……今のは」

「見たまんまよ」
 説明足らずに告げる。でも彼は去ってくれそうになかったから、もう一言だけ付け加える。
「――『まやかしの紫』」

「まやかしの…?」
「そう。ぶっちゃけた話、幻術よ。紫色の光線が出るから、私がそう名付けたの。しかもこれだけじゃない、他にもいろんな色のがある」

 私は先程と同じように左手をじろじろと観察した。特徴的な傷や痣のないありきたりな手。それなのに、あんな恐ろしい術が繰り出される。
「治癒術にも名前があるの。『癒しの緑』。…そのまんまだね。実は正確にはどっちも魔術じゃないわ。地球に行ったときに、中国で習った気功術をアレンジしたものだから。というより、改良って言った方が正しいのかな」
 望んでいるわけじゃないのに、後から後から言葉が口から飛んでいく。もう、諦めているのかな、私。

「この前話した、両親を亡くした事故のときね。……私、自分に『まやかしの紫』を使ったの」
「……何だって?」
「どうすればいいのかわからなくなって。追いかけようと、思ったの。もう消されてしまった炎に焼かれて」
 本当に熱かった。本当に死ぬんだと思った。さっさと終わってと願って。

 でもそうはならなかった。幻は幻だった。耐え難い苦痛が続いて気を失っただけだった。
「その後で考えたの。自分はこんな苦しみを生み出すんだって。そりゃ幻術にもいろいろあるって知ってるわ。良いことにも応用できるかもしれない。でもこんな危ないものを、ずっと抱えていくんだと思った」
 瞳を閉じた。感じるのは黒い光。闇。でも私にはこれで十分なのかもしれない。

「もう行って」
 できるだけ明るい声を出して促した。これ以上一緒にいたら、どうかなりそうだった。
「一人になりたいから。それに今、機嫌悪いからまた『力』使っちゃうかも! そんなの怖いでしょ?」
 怖がられるから、怖いのよ。だから行って。


 ところが、彼は行ってくれなかった。それどころか穏やかに言い切られた。
「俺は怖くない」

「……またまたー。同情しなくってもいいのよ。こんな話をしたら気味悪がられるってことくらいわかるし」
「どうしてそうなるんだ」
「どうしてって」
 じゃり、と砂を踏む音が聞こえた。コンラッドが近づいてきたのだ。
。…俺は…」
 衣擦れの音。まるでこっちに手を伸ばしかけてるみたい。

 止めて。優しくしないで。だって私は、そんな資格持ってない。

「触らないで!」
 息を呑む気配がして、手の動きが止まった。コンラッドは今どんな顔をしているんだろう。私にはもうわからない。
 離れて欲しいという願望で頭の中がいっぱいだった。
「もういいから! コンラッドがいい人だってことは知ってるから! でもそれじゃいつか裏切られるよ!? 他でもない私に。だってそれができるもの!

 そもそももう裏切られてるかもしれないでしょ。皆の記憶を操作して、幻を見せて、悪い事をたくさん誤魔化しているかも――――」


 ぱしん!
 乾いた打撃音が辺りに響き渡った。



       *       *       *



 よっぽど私は混乱していたんだと思う。
 それでも、その痛みはきっとずっと忘れられない。


 私の前まで回りこんできたコンラッドが、私に突然平手打ちを喰らわせた。


 ホントにびっくりしたよ。驚き過ぎて、頭の中が真っ白になった。

 コンラッドは今までに見たことないような切ない顔をしていた。そして不意に俯くと、ゆっくり、でもしっかり私の両肩を手で包んで、すぐ近くの岩壁に押し付ける。私は何もせずに従うことしか出来なかった。

 彼がまた顔を上げる。
 日が当たらなくて陰になっている彼の瞳は、それでも強い光を放っていて、顔を背けることさえ叶わない。しばらく見つめ合う。





 ――その言葉は、押し殺した吐息と共に紡がれた。
「俺はそれでも、君のことが好きなんだ…―――」










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  ★あとがき★
 (思うところがあって、あとがきは省略させていただきます)

  ここまで読んでくださった方、ありがとうございました。
  あと、この間にメッセージ送ってくださった方も! 本当に嬉しかったです!
  ゆたか   2005/07/07

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