【砂漠に水を】
こんな近くにいるのに、聞き間違えたのかと思った。
「……なに、いってるの?」
冗談だとも思った。だってそれだけは、決して言われないって信じていたから。
「コンラッド?」
「好きなんだ」
それなのに彼は繰り返す。銀色の視線もそらされない。
危険信号。
「う、嘘つかないで!」
「どうしてそう思うんだ?」
「だって……」
こんな私を好きになる人なんて、いるわけない。
口では上手いことを言っていたって気味が悪いはず。怖いはず。
それに、あなたは……。
「へ、いかがいるし」
「…イカ?」
「陛下!」
奇妙な間があった。コンラッドは横に顔を背けたかと思うと声を立てて笑い始め、私はびっくりしてしまった。
「何で笑うのっ!?///」
「いや悪い……」
コンラッドは何とか堪えようとしていたみたいだけれど失敗したようだった。代わりに私の肩に置いていた手を後ろに回して、肩越しに可笑しがる。
ぶっちゃけ、抱きしめられている。
慌てて離れようとしたけれど、ただでさえ体力のある相手がお腹に力を入れているので、少し腕で押してみたところでかなり無理がある。挙句の果てに私の方が疲れてしまい諦めてしまった。
そういえばこのパターンは前にも経験したな、ってふと思った。皆でモルギフさんを探しに行った、夜の山の上で。あのときも私は戸惑っていたっけ。でも、あのときとは違うところもある。
少なくとも私は違うよ。
どうやら一段落したらしいコンラッドは、姿勢を変えずに私に問い掛けてきた。
「それは、遠まわしにジュリアのことを言っているのか?」
「……うん」
「もともと彼女とは何もないよ」
「本当にそう思ってる?」
「ああ。確かに君の言うように、大事だったけど。……それは今問題にしているタイプじゃない」
彼はそこでまた思い出したように笑ってから付け足した。
「ユーリはなおさらだ」
はっきりと断言されても、すぐに納得できなかった。かと言って気持ちをうまく表現できない。一握りの砂がゆっくりこぼれるくらいの時間が過ぎていった。そんな私を見てコンラッドがどう考えたかは判らないけれど、思いついたように質問された。
「。幻術って、どんなのを見せたんだ?」
「……あの赤ちゃんが受けたと思われる苦痛をそっくりそのまま。短縮版で」
「ああなるほど」
「?」
どうして訊かれたんだろうと思った。でも訊き返そうか、一瞬躊躇ったそのとき。
「だったらやっぱり大丈夫じゃないか」
「え? ……何が」
「は怖くない」
「どうして!」
「自分のために使ったわけじゃないだろう? トグリコル氏に君のことを言われてカッとなったんじゃない。知らしめてやろうとしたんだろう? あくまで赤ん坊のために」
「でもだからって」
「でもじゃない。とにかく俺は『力』なんて怖くない。
は怖くないから、君が持つなら『力』も平気だ。だから気持ちも変わらない」
――「力」のある言葉。
ウルリーケ様も同じような言葉を掛けてくれたことがある。それに嘘や企みは見つからなくて、あの時はとてもほっとしたっけ。
私の『力』を高く評価する人はたくさんいる。でも、そのすべての人にすべてをみせているわけじゃない。特に紫。その存在をキャッチした貴族が何人も傘下に入れようとしてきたけれど、その甘い言葉には微かな怯えや嫌悪が混じっていた。少なくともそう感じた。だから私は首を縦に振る気になれなかった。
コンラッドはそんなの関係なかった。
知っていたはずなのに今更そのことに気がついて、少し涙が出てきた。久しぶりの感覚。でも嫌な気分はしなかった。ちょっと恥ずかしかったけど。
「?」
「……ありがとう」
自然と体が動いた。両腕が、彼の背中へ。僅かに驚かれたみたいだったけれど、すぐに強く抱きしめ返された。
すごく居心地がいい。
って、これだけでは終わらなかった。
「ところで。一番肝心な問題が残っているんだけど」
コンラッドが躊躇いがちにそう切り出したのは、しばらく後に体を離したときだった。ちょっと照れ臭かった私は、俯いてそれに応じる。
「な、なに?」
「……は俺のこと、好き?」
「へ!?」
ちょちょっと、その質問ってなんで? 今までのアレはいったい!?
「いや、よくよく思い出してみると返事聞いていないし、やっぱりはっきりしておきたいし、さっきの『ありがとう』はちょっと意味が違うかなぁと」
「ちが……って」
違うっけ? 半ばパニック状態になりながらも必死で考えてみる。返事、へん……あー本当だ、該当するセリフがないっ!
「どう?」
「え、あのー」
マイペースな促しに、余計に頭が混乱した。今、なんだったっけ。何を言うんだっけ?
「私は、コンラッドの、こと……」
「うん」
好きかって?
「・・・・・・」
「――わかった、もういいから。そんなに固まらないで」
「で、でも」
耳まで熱い。きっと、今の私はすごい表情をしていると思う。いつかのヴォルフラム閣下みたいに、顔の上でやかんの湯でも沸かせるに違いない。
今回は諦めた方がいいと思ったのか、コンラッドはそんな私に、すっかりいつものスマイルを向けている。それでも悪戯っぽく見えるのは形勢が明らかに彼の方に傾いているからだ。
「返事はまた今度でもいいよ。だからゆっくり考えて」
爽やか笑顔。でも、考えてと言われても、もう考えることは……、
ナイ。
「……き……」
「…え?」
少し俯いてぎゅっと目を瞑る。
「わたしもすき!」
ずっと前から。自分が傷つくのを恐れたくらいに。
なかなか反応が無いので恐る恐る顔を上げると、一瞬柔らかいものが唇に当たった。強い銀色の光を感じた。小さな音。コンラッドはごめんと呟いて、それでいて反省していない仕草で私に背を向けた。軽い足取りで皆のいる場所に戻っていく。
――あれ、いまの、って?
* * *
まぁ、昼間はこんな風に、私の中での一大ハプニングが起こったわけで。
先に戻ったコンラッドとはかなり時間を置いてから皆の所へ帰ってみると、トグリコル氏とその息子ネロはどこにもいなくなっていた。私が場を離れてからすぐに、慌ただしく逃げて行ったらしい。複雑な心境だけれど、無理はないと思う。
大規模な魔術を使用して疲れてしまった陛下の方は、この後二時間くらいしてから意識を取り戻された。もう日は暮れてしまっている。すっかり(ご自分で)破壊された施設を見て、随分罰当たりな墓荒らしが来たんだなとか呟いていました。違うってば。
そういえば、今回の旅に至った本来の目的というと、意外な展開で解決した。
ノリカさんという施設に収容されていた女性と陛下が、…ここで出産されて埋葬されたという彼女の赤ん坊を掘り返そうとしていたときだった。奇妙な筒型の物を二種類発見したのだった。
「んーこれ、どっかで見たことあるような」
「あ、さんもそう思う? オレもなんだ。なんかの一部のような……」
一部?
「あ!」
「えっどうしたんですか?」
閃いたらしい陛下が、急いで胸のポケットから何かを取り出した。これまた筒だ。どこで手に入れたんだろう。あっそうだ確かニコラが陛下に渡した物があるって言ってたっけ。それかな?
陛下は手馴れた様子でその三つの部品を組み立て始めた。それを横で観察するにつれ、私が感じた既視感も晴れていく。…あー…。
合体!
「……ふえ?」
それはソプラノサイズのリコーダーだった。地球の子供がよく使っている。
「……ふえ」
あれ、これが魔笛?
陛下は恐る恐る出来上がった笛を口に近づけてみた。吹く。ぽぴーと音が鳴った。
驚愕の叫びが辺りにこだまする。これも無理はないと思う。だって伝説の魔笛がこれじゃあね。
「ほんとにソプラノリコーダーっ!?」
かくして本当にいろんな事があった旅も、終幕に近づいてきた。夜のうちの大脱走だなんて変わった方法で。
しかも出発するときの倍くらいの人数。その理由は、施設に囚われていた女性達のうち十四人の愛した男性が眞魔国出身で、是非その人達の母国に行ってみたいと強く要望したからだ。普通ならそんな大変なことが許可されるはずは無い。でも決定を下すのが我らが陛下なら話は別。その関係で兵士さん達は騎乗権を譲ることになってしまったけれど。なにぶん馬が足りなくて。
今私は、四人乗りの馬車、正しくは馬ゾリに乗っている。ヴォルフラム閣下と陛下、ニコラと私の組み合わせ。本当は私じゃなくて肋骨が二本も折れているグウェンダル閣下が割り当てられていたのに、本人の強い意志で乗馬班を交代させられてしまったのだ。
ちなみに、陛下は二人掛けの座席に横たえられていて、閣下の膝の上に頭を置かれている。
「ううう、何で男に膝枕!?」
「お前は大魔術を使った後に、いつも二、三日は寝込むだろう。なのに今回は二時間しか眠らなかった。いいか、二時間だぞ? あれだけおぞましい術を見せつけて、二時間てことはないだろう。それで一応、大事をとってソリ班の一人に入れたのだ」
「……だからって、どうしてお前に膝枕!?」
「嬉しいだろ」
「嬉しいもんかッ。……さんも何とか言ってよ」
「閣下ー、気持ちはわかりますが、そんなに熱々じゃあ却って陛下は休まれませんよ」
「違う! 合ってるけど違う」
陛下にとってはちょうどいいタイミングで、馬上のコンラッドが、こちらに近寄ってきた。
「じきに国境の街なんですけど……陛下? あ、そこですか。膝の上なんかにいるから判りませんでしたよ」
「助けてコンラッド! どこでもいいからおれをここから連れ出してくれ!」
陛下は彼の後ろに乗ることになった。ヴォルフラム閣下は不満そうだけれど仕方ない。
眞魔国に行けることになってすっかり元気になったニコラがニコニコと首を傾げる。
「ねえねえ、結局ユーリは、どっちと結ばれることにしたのかしら?」
「ニコラ、陛下はそういう考え自体に至ってないと思うけど」
「あいつは不貞で尻軽だからな」
「え? そうなの?」
良識派(のはず)の意見を無視ですか、お二人さん……。
「まぁ、コンラートなら我慢しないでもないけどな」
「あれ? 閣下ってば、随分考え方が変わったんですね?」
ちょっと前までは陛下の傍に居る相手が誰であれ、嫉妬の炎を燃やしていたはずなのに。ふんっと鼻を鳴らし、ヴォルフラム閣下はごく自然な調子で話を続けた。
「いちいち心配するのも馬鹿らしいだろう。だって恋人がいるんだから」
「…………。え、そうだったんですか?」
「何を言っているんだ。お前のことに決まっているだろう」
「わたし? あー、なーんだ私かー、って、えぇっ!?」
いつの間にバレて、じゃなくってなんでそういう話に? ……ま、まさかコンラッド?
「? 違うのか? さっきがコンラートと一旦いなくなってから戻ってきたとき、空気が妙だったからそう思ったんだが」
「……な、なんだー。よくおわかり、に、はっいえ、なんでもありま」
「まぁっ、そうだったのね!? なんでもっと早く言ってくれなかったの?」
ぎく。
「や、だから違うってばニ、ニコラ」
「しかもやっぱりあの人なのね!? そうよね、さっきユーリが馬に移ったときに、熱い視線を送りあっていたものね」
「いや、あのー」
「告白はどっち? どんなセリフで」
……私も助けてー!
皮肉なことに、このときの私を助けてくれたのは、女性達を追って編成された追撃隊だったりする。予想を外れた機敏さだ。地平線辺りをちらりと砂埃が立ったのを、…コンラッドが発見した。
しかも私達の前方には、行きしなに苦難を強いられたパンダ、砂熊もいるらしい。こちらの発見者は陛下だ。法力の結界が張ってあるので、私達には見えないのだけれど。
「せめて追っ手を足止めできれば」
陛下を馬ゾリに戻そうとしながらコンラッドが呟く。
「……そぷらのりこーだー、とか?」
さっき完成したばかりのアイテムをそろそろと持ち上げて、陛下がぼそりと提案した。魔笛なら作戦としては有効かもしれない。でもまだ人間の土地なのに、術が発動するのかな。
なんにしろ無血状態で逃げ延びられるのならいいと考えたのはお互い様だったようで、陛下は景気付けに一吹きした。ふひぃぃぃぃ。頑張り過ぎて老婆の悲鳴みたいな音が出る。でも頑張って!
なぜか聴いたことのある曲を皮切りに、躍動感ある調べが次々と奏でられた。こう、何かの応援歌っぽいのが多かった。
と、何曲目かが終わった頃、パンダ側の方から、大きな人影がこちらに走ってきた。瞳を眇めたコンラッドが訝しげに人名を口にする。
「……ライアン?」
誰だろうと感じる間もなく、ごろごろっとくぐもった音が聞こえた。誰かのお腹の虫か、……雷か。
「あっごめん今のおれのハラ……」
勘違いした陛下の言葉が終わらないうちに、砂漠の砂が黄色から灰色に変わった。あんなに照り付けていた日光も感じられなくなる。見上げると、広い空を隙間なく黒い雲が覆っていた。
最初の一滴。幻かとも思えたそれは、すぐに容赦ない豪雨になって人にも馬にも痛いくらいに叩きつける。
「まさか、雨男?」
「雨将軍よ、雨将軍だわ!」
女性達が口々と叫んだ。やったね陛下。「男」から「将軍」に格上げだよ。
* * *
「ではライアンはわずか五日足らずで、あの凶暴な砂熊を手懐けたというのですか!?」
話を聞き終えたギュンターさんは、そう感想を漏らした。その手には布で包んだ魔笛を捧げ持って。
無事に眞魔国へ帰って来れた。
すごい雨で足止めを食らった追っ手を後目に、私達はライアンさんに率いられて人馴れした砂熊の巣に非難させてもらった。実はライアンさんは、コンラッドの部隊に所属していた兵隊さんだった。本当は魔笛探索の旅にも参加していたのに、昔から無類の動物好きとかで、遭遇した砂熊に恋をしてしまったらしい。それで隊から離れて瀕死の砂熊の手当てをしていたというわけ。
「あのときは驚いたな」
そういえばニコラはグリーセラ家に嫁入りした。二十年も嫡子、ゲーゲンヒューバーさんが戻っていないので、いきなり孫に会えることになったグリーセラ家当主はとても喜んだらしい。人間だからという理由で邪険にされなかったニコラを見ていると私まで嬉しくなった。ヒューブさんにも再会できるといいね。
「う、うんそうだね」
陛下も、逃避行でグウェンダル閣下のことが少し解ったみたいだし、シロブタちゃんならぬ白ライオンちゃんのぬいぐるみを貰ったみたいだし。
「……?」
「……はい」
私も私で必死に現実逃避をしようと試みたけれど、やっぱり無理だった。
「やっぱり怒ってるのか?」
コンラッドは首を傾げて尋ねてくる。ここは日当たりの良い中庭で、二人並んでベンチに座っている。周りには誰もいない。と思う。
「な、何を?」
「だから、この前告白したときに、俺が君にキスを」
「い、言わないで〜!///」
頭を抱えて聞かないポーズをする。どうしてそんなこと、さらっと口にできるんだろう。私が免疫ないだけなのかな。
「怒ってなんてないから」
「本当に? でも、なんか隠してるような」
核心に近いことを突いてくる。痛い。私の事を解ってくれているっていうのは嬉しいんだけど!
「それも、あるけど、いや、それよりも……」
「それよりも?」
「……なんでもないわ」
なんでもないということにしておいて。
だって訊くだけでも心臓がバクバクして息が止まりそう。
キスをするちょっと前。貴族の間ではプロポーズに相当するという、平手打ち。
彼がどういうつもりだったのか。そのままの意味か、気付けだけの意味っだのかを、知る勇気がないから。
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★あとがき★
…ふー! やっと恋人です、両想いになりましたねっ。
今まで「片想いならではの面白み」があったと(少なくとも管理人は)思うのですが、
これからは「両想いならではの初々しさ」が楽しめたらなーと考えています。
前回のあとがきですが、下手に書くと最後の余韻が消えそうだったので省略した次第です。
コンラッド、結構勢いで行動してますねー。これってキャラ的にありえるんでしょうか。
でもこのヒロインの秘密の暴露の方法とそれに対する彼の反応は、前からこれと決めていました。
まぁそれはともかく、どんどん甘くしていきまっしょい(爆)
次は、外伝を一つ書いてからグレタ編に移ろうと思います。
外伝は前からかなり想像(妄想)が膨らんでいたので、早くアップできるといいな。
ここまで読んでくださってありがとうございます。
ゆたか 2005/07/19