「……こんな展開は初めてだよ」
誰が言ったセリフだったか。わかるのは、それが間違いなく私に向けられたものだということ。
【加速度的に】
人生を賭けるだの派手な展開になった割には、夜明けに近い夜の中、私達はヒューブさんを抱えて、地味に宿へ引き上げた。
温泉学のエキスパートがヒューブさんにあらゆるドメ(痛み止めとか化膿止めとか)を施してくれたので、現在はそう苦痛はないだろうということだった。ただし、命に保証はできなくて、今夜が土手らしい。……それを言うなら峠では。
ゲーゲンヒューバーさんはコンラッドのベッドに横たわっている。グレタちゃんはずっと付きっきりで、その様子を見守る陛下は渋い顔だ。嫉妬の炎でメラメラ。もう男親同然だ。
そして、心中穏やかでない人はもう一人いる。
「は近づかないでくれ。頼むから、陛下やウォルフと一緒に、隣の部屋にいて」
彼にはっきりと言われてしまった。
コンラッドは普段からは想像できないくらいに顔が強張っている。目が、誰から見ても真剣で、ワガママを口にするだなんてとてもできそうにない。そんな彼とケンカはしたくない。しないためには、大人しく引き下がるのが一番の道。
……なんだけどなぁ。
「そんなことをしなくても大丈夫」
あくまで控えめに、だけど意志を曲げない心持ちで彼に伝える。コンラッドは口を開きかけたけれど、思い直したのか何も言わない。何を言おうとしたの? お互いをさぐり合うように視線を交わした。
「そうだよコンラッド、そいつもう刀握る力もないじゃん。心配しなくても、さんだってあそこまでの重症患者に殺されるほど弱くないよ」
「いーや、油断できないぞ。なにしろは、お前と似ているところがあるからな。いくら簡単な騙しでも引っ掛かる」
「おいおい」
…そして背後で夫婦漫才(?)。
「にしても、なんでさんが狙われたんだろ」
陛下がふと思いついたような声をあげた。いきなり私が命の危険にさらされた理由。そういえばまだ明らかになっていない。
「ルイ・ビロンが指図したようにも思えないしなぁ……」
今気づいたけれど、さっきから陛下は妙に口調が明るい。ひょっとして、気を遣ってくれてるのかな。
「本気にさせたかったのでしょう」
彼はそのままの調子で答えた。
「本気に? ああ、さんを狙えばあんたが動くってこと?」
「はい。あいつは一瞬で見抜いた」
ひどく低い声。思わずなぜか謝りたくなる。一刻も早く機嫌が直って、また笑ってくれたらいいのに。だって。
あなたがそんな顔をするのは、どうしても十何年も昔の出来事を連想させてしまう。
「……ヒューブは死にたかったんだよ……」
じめじめした感傷に浸っていると、グレタちゃんが呟くように語りだした。
「……ヒューブは昔、とても悪いことをしたんだって。生きているのが申し訳なくなるほど、非道いことだったんだって。でも与えられた仕事があったから、どうにか考えずに済んだんだって。そのうちに段々昔のことを忘れてきて、生きていてもいいのかと思うようになって、好きな人もできたんだって。けど……」
最終的に二人がどうなったのかは知っていた。ニコラが詳しく教えてくれたから。魔族と人間だったから、仲を引き裂かれてしまった。
「お城の地下の牢屋に座り続けて、ずーっと時間がたつうちに、やっぱり自分は昔のあの罪を許されてないんだとわかったんだって。でもね、自分で命を絶とうとすると、夢に女の人が出てくるの。死んじゃだめって。まだ死んじゃだめって言うの。だから自分では死ねなくて、殺してくれる誰かを待つんだって。だから一緒にお城を出たの。グレタは抜け道とか隠し通路を衛兵達より知ってたから」
「……」
…死にたいけど死ねない、かぁ。
強く引きつけられる言葉だった。同じような思いをして『力』を自分に使ったことがあったから、なおさらだ。ヒューブさんと私は意外と近いところにいたのかもしれない。
ただ、今の私は別の場所に移っただけで。
「ユーリ」
「ん?」
グレタちゃんの声が耳に響いた。
「ヒューブだんだん冷たくなってく……だんだん温度が下がっていくよう!」
「え!? それはまずいよ、なぁさん……あ」
「駄目です」
私が返事するより早くコンラッドが制した。彼はまるで私を後ろに庇うかのような位置に立っていた。
「コンラッド、私よりもヒューブさんがっ……」
「だめだ。……ユーリも、ご自分で治療なさろうとは考えないでくださいね」
「なっ、なんで!」
驚いて叫ぶ陛下に彼は冷静な表情で応えた。
「一度こちらに刃を向けた、そういう存在に近づけるわけにいかない。ゲーゲンヒューバーの実力は、俺が一番解ってる」
「だけど、だけどさぁ! 彼はニコラの婿さんだし、生まれる子供の男親だろ!? 助けなきゃそいつだけじゃなくて、国で待ってるニコラが悲しむよッ。それに今は違うリーグにいても、元々は同じチームの仲間じゃないか。元チームメイトが死にかけてるのを黙って見てられるほど、あんた冷酷な男じゃないだろ!?」
垣間見た彼の瞳がすっと翳って暗くなった。
また既視感を覚える。初めて会ったときのコンラッドを思い出す。
「そういう男ですよ、俺は」
「コンラッド」
「大切な存在を危険な目にさらすくらいなら、ヒューブのことは諦める。俺はそういう男です」
背中に手を触れると、彼は振り向いてくれた。けれどそれは切なかった。
言葉が何も見つからない。どうにかして説得したいのに、思考が空ぶっていく。
息もできないくらいに気が焦ったそのときだった。
「お前等いつまれややこしいことを言ってるつもりら?」
不謹慎な欠伸を噛み殺して、ヴォルフ閣下が呂律の回らない声で言った。
……って、もしかして今半目を開けたまま寝てた? ねえ。
「ゲーゲンヒューバーに癒しの術を試みたいんらろ?」
「喋り方が起き抜けだぞ」
「なじぇぼくに頼まない?」
え?
「だってヴォルフ……そんな特技があったっけ?」
私と同じく目を見張った陛下に、閣下は片方の柳眉を上げた。鼻を鳴らさんばかりの形相で返す。
「さすがに本職のやギーゼラとまではいかないが、治癒力を多少上げるくらいは経験がある。お前ごときに可能な技を、このぼくが使いこなせないわけがないだろう。なにしろお前は」
「へなちょこです」
あっさり認めた陛下に、今度は満足げになって鼻を鳴らす。「頼むか?」と繰り返す。そしてヒューブさんの方に移動する。
「いいかユーリ、よく見ていろ。癒しの術とはこういうものだ。おいゲーゲンヒューバー!」
手を握るというより手首を掴み、乱暴に揺すって怒鳴りつける。
「聞いてるか、この怪我人が! ぼくはお前など助けたくないが、ユーリが頼むというからやっているんだ。生き延びたらこいつに感謝しろ! 一生忠誠を誓うと約束しろ! まったく勝手に重傷を負ってからに、このぼくに治療させるとはいい根性だ。お前など死んでも構わないのだが、あの女とユーリが嘆くからなっ」
そこから先は、罵詈雑言、エンドレスモード。
「……確かに生きる気力を引き出してはいるようだけど……」
「あれはちょっと特殊な例ですから、覚えて真似たりしないでくださいね」
特殊すぎるってば。
「コンラッド。……やっぱりヒューブさん憤死しちゃうかもしれないから、私が……」
「……、ちょっとこっち来て」
「えっ? でも」
いきなり強く腕を引かれて部屋の外へ連れ出された。面食らって為されるがままに歩いてしまう。陛下がちらりと振り向いて、また視線をヒューブさんの方に戻す。
「なに? あの、コンラッドの気持ちだって無視したくないけど、あれじゃヒューブさんもよっぽど可哀相」
「まだわかってないよ、は」
部屋の扉を閉めた彼は、溜め息をついて私に告げた。呆れている、って取った方がしっくりとする様子だ。それとも怒ってるのかな。
「君をそう簡単に留められるとは思ってないけど、ここまで奔放だと俺がどうにかなっちゃいそうだよ」
「……ゴメンナサイ」
「賭けに負けたって手放すつもりはないから」
「え?」
首を縦に振ろうとして思いとどまる。かけ? いつの間に、そっちの話に?
「ん? どうした」
「……ううん、てっきりヒューブさんの件のことだと思ってて」
「もうそれはどうにかなっただろう」
「……なったの?」
廊下にもヴォルフラム閣下の張り上げた声は聞こえてきている。とてもそんな風には思えない。それとも治癒術って、あれでよかったっけ?
「」
内心悩んでいたら、シンプルに名前を呼ばれた。見上げてみると真正面から見つめられている。廊下の照明具は光が弱くて、彼の顔に印象的な陰影をつけていた。
瞳の銀の虹彩だけは、いつものままで。
「抱きしめてもいいか?」
いかにも冗談抜きの面持ちで言われて平常心を装えない。顔を赤くしてしまった私に、彼は、今度は少し可笑しそうに続けた。
「あらかじめ許可を取ろうとしても、こうなるんだな」
「だっだって……」
「じゃ一応、訊いたから」
為す術もなくコンラッドの腕に包まれる。最初は軽く、そのうちだんだんと力強く。
なんだかすごく悔しいけれど、心地が良かった。
「君が生きてて良かった」
唐突に思い出す。少し前、私も同じことを言っていた。あのときもコンラッドが激しい剣の戦いを終えた後だった。
『また逢えて、良かったなぁ』
本当にそう思った。意識なんてこれっぽちもせずに、けれど自然に心の底から湧きあがったセリフだった。
あなたも同じ仕組みを通ったの?
「うん」
コンラッドの首の後ろに腕を回して、私はポツリと呟いた。本当はもっと伝えたいことがあるような気がしたけれど、これ以上は無理だと本能的に理解した。きっと止まらなくなる。もう夜が明けてしまうのに、タガが外れるわけにはいかない。
せめて、ギリギリの時間までこのままでいさせて。
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★あとがき★
この話でちょうど第30話です。パンパカパーン♪
なのに。…しけてますよね、今回のヒロイン。しめっぽくてゴメンナサイ。
これ以上は明るくできませんでした…。
陛下と閣下が必死で盛り上げようとしたんですけれどね(苦笑)
何より私が「そろそろ旦那といちゃいちゃ」と呪文を唱えていたのがいけないのです(欧)
でも欲望はある程度すっきりしたので、見逃してやってください(意味不明)
第30話にしてツッコミどころの多いあとがきだよ、ほんま。
ここまで読んでくださって、有り難うございます!
ゆたか 2006/06/27