【レースの終末に】





 二匹の珍獣は予想を上回る速さで回路を一周しようとしていた。足はどちらも動きがハイすぎて見えないくらいだ。コアラがパンダを追いかけている、と言えばメルヘンっぽいんだけれども…。
 この世界では、圧巻の二文字に尽きる。

「大丈夫かなライアンと砂熊ケイジ。あんなんに追い付かれたら食い殺されそうだよ」
「うーん、地獄極楽ゴアラは肉食獣ですからね」
 呑気な会話に、思わず私も参加しそうになる。ここは別にコロシアムではない。あくまで徒競走のはずが惨劇になるかもしれないなんて、嫌すぎる。
「ライアンさん、ケイジくん……」
 とても複雑な心境。元はと言えば、私が賭けに乗ってしまったのが原因だ。こんなあっさり関係ない人(とクマ)を巻き込んで…。突っ走り過ぎていないかしら? どうしても不安になる。
 それでも今の私には祈るしかない。どうか、二人(じやなくて一人と一匹)が無事でありますように。……勝ちますように。

 陛下とコンラッドは、話を続けている。
「追いつかれる、追いつかれるぞっ!? しかももう第三コーナー。やっぱコースが砂じゃなかったのがまずかったか!?」
「実際に砂だったら、あいつは転げて掘って潜って住んで罠をはっちゃって、レースになんかなりません。砂である必要はない。それより、この空き地に特設コーナーを造ってくれて助かった。見てください、ゴール直前に樹齢のいってそうな巨木があるでしょう?」
「ああ、あの枝振りのよさそうな」
「そこがポイント」

 ゴアラの魔の手はケイジくんのすぐ後ろまで迫っている。第四コーナー走破。最後は真っ直ぐな道だ。
「ああーケイジ、危ない! ライアン、ライアンー!」
 陛下が叫ぶ。本当に危ない。もう駄目かと思った、そのときだった。

 ズザザザザザザァァーーーッ!!

「えっ!?」
 大量の草が舞って視界が遮られたかと思うと、彼の言っていた巨木の辺りで珍獣たちの行方がわからなくなった。でもそれも束の間、私たちの目の前にあるゴールラインに、砂熊ケイジくん一頭だけが突っ込んできた。

「え!?」
 ライアンさんが相棒の首に手を回して、抱きついてから中腰のガッツポーズをしている。
 歓喜の雄叫びをあげる観客。舞い飛ぶ無数の紙切れ。…何これ、もしかして、…勝った?

「……なに? なになに何でケイジだけが……ゴアラはどこに消えちゃったわけ?」
 陛下が呆けた呟きを響かす。私もいまいち事態を飲み込めていない。コンラッドに促されて見上げると、巨木から張り出した立派な枝に、地獄極楽ゴアラがぶら下がっていた。
 うっとりと目を閉じているその姿に、私はあっと声をあげる。ゴアラの特徴を思い出したからだ。

「ゴアラは凶暴な肉食獣ですが、好みの枝を見つけるとぶら下がらずにはいられないんです。それまでどんな状況におかれていても、フェイバリットな樹木に出くわすと我を忘れてしまうんですよ」
 コンラッドが陛下に丁寧に説明する。彼も喜んでいるのがわかる。
 ケイジくんの方が速くゴールに着いた。そしてゴアラはジキルモードで棄権。これらの事実が示すのは、…自由を取り戻した私の身。

「そ……そうか。よかったな、さん!」
「……はいっ」
「認められんぞっ!」
 ルイ・ビロンがものすごい剣幕で怒鳴る。でも、勝ちは勝ちだし…。そんなことを言われても困るんだけどな。

「こんなことは絶対に認められん! 事故で中断されたのだから、レースは無効、再試合を要求する!」
「冗談じゃないよ。アクシデントでも何でもない、あんたの選んだ選手がリタイアしたってだけじゃん」
 あんまりな訴えに閉口だ。陛下が代わりに言い返してくれたけど、横暴な賭主に聞く耳はない。
「もう一頭だ。そうだ、ラバカップだ、ラバカップを連れてこい」
「ふっざけんなよ!? 無効試合なんて宣言できんのは当事者じゃなくて審判だけだろうが! しかもその妙に発音のいいロボコップみてーな、ロバとも馬とも河童ともつかない生き物は何だよ!?」

「往生際が悪いですぞ、ルイ・ビロン」
 身軽にこちら側の座席に飛び移ったヒクスライフさんが、昨晩交わされた調印書を突き付けた。
「このとおり、貴殿は条件に同意された。これ以上の悪足掻きは自身の名声に傷をつけるばかりだ。もっとも悪評も名声のうちと、大らかに勘定するのならば、だが……あっ」
 え!? ウソ。

 証拠書類をむしり取ったかと思えば、ルイ・ビロンはそれを口の中に放り込んでしまった。……え、え? 本当に? そんな……。

 書類がなくっちゃ、賭の約束をしていたことを証明できない。ただの、砂熊とゴアラによる命がけのレースになってしまう。
 自分本位なルイ・ビロンのやり方に目眩がした。このままもう一度レースをすることになるの? 諦めかけたときだった。

「……偽札? そうだ、そーだった偽札だよッ! おいブランドバッグ、じゃなかったルイ・ビロン! そうやって証拠を隠滅しても、あんたの悪人ぶりは隠せねぇぞ!? 隣接したテントの二本角の下に、不正偽造紙幣をごっそり保管してただろ。ほーらここに現物が二枚もある。表だけ印刷で裏面真っ白なんて、いかにも偽札くさいだろ」
 何やらポケットから薄い紙を引っ張り出した陛下が、ヒラヒラさせた。それは確かに紙製のお金だったけれど、片面にしか印刷がされていなかった。

 あれ、でもヒルドヤードの通貨って確か。
「陛下……」
「ん? なによコンラッド、そんな申し訳なさそうな声しちゃって」
「小銭しか持たせてなくてすみません……言いにくいんですが……そのー、ヒルドヤードの紙幣はですね」
 彼はピン札を恐る恐るといった風情で陛下に渡した。やりにくいことでもちゃんと実行するコンラッドはすごいと思う。
 陛下が唸った。
「げ」
「……元々、片面印刷です」

「ふん! 異国の若造などに何が解るというのだ。無礼千万な言い掛かりをつけられてはたまりませんな!」
「……でも、ありがとうございますね、陛下」
 これでまた振り出しに戻っちゃったわけだ。本当は、こちら側が徹底的に拒否して、レースを中止できるのかもしれない。でもそれじゃあ、根本からの解決にはならない。

「あとでライアンさんとケイジくんに謝らなくちゃね」
 ぽつりと呟く。それが本心だった。肩を落としていると、近寄ったグレタちゃんが心配そうに覗き込んできた。見上げるとコンラッドもおんなじ感じだった。私は笑いかけたつもりだったけれど、なんだか失敗した気がした。
 あーぁ。大丈夫かなぁ。

「じゃビロンさん」



「待ってください、嬢!」
 ヒクスライフさんが慌てた様子で、私の言葉を遮った。どうしたんだろ?
「ついうっかりぽんでした。……ルイ・ビロン氏! よくよく拝見したところ、その紙幣の柄は、この私の故国であるカヴァルケードのもの!」
 ルイ・ビロンの顔色が変わった。

「もちろん、我が母国のドラクマ紙幣は、片面印刷などではない! さてルイ・ビロン氏、どのような詭弁を聞かせてくれるやら」
 ヒクスライフさんは、剣柄に指を向けたまま、ずいずいとルイ・ビロンに詰め寄る。冬だというのに何も覆っていない彼の頭頂部を跳ね返る日光が、ちょっと眩しい。
 ……もしかしてこれ、一件落着する?

「ヒルドヤードの役人に鼻薬をきかせていても、カヴァルケードの追及からは逃れられまい。さあビロン、観念して権利書を渡し、行いを恥じて蟄居するがいい」

「……そんなにこの地の興行権が欲しいか」

 それは地を這うような声だった。
 ひどく不吉。油断すれば、きっと呑まれる、そんな声。その場にいた誰もが身構えた。

 剣を持たない私は、いざという時のためにグレタちゃんを安全な場所へ移そうとした。でも彼女の様子がなぜかおかしい。何を考えているのか、鼻をひくつかせながら辺りを見回している。

「ならば望みどおりくれてやろう。こんな田舎臭い観光地の一つや二つ、こちらにとっては痛くも痒くもないわ! 文字どおり何もかもまっさらになった西地区で、お綺麗な商売を興せばよい。このルイ・ビロン、発つ者として後を濁さぬよう、自分の商いは自分できっちりぽんと片をつけてゆこう」
 潔い言葉(?)とは裏腹に、ルイ・ビロンの目つきはあまりにも悪かった。次のセリフが決定打だった。

「炎で浄められた歓楽街に、教会でも寺院でも建てろというのだ!」

「ユーリあそこ!」
 神経質な高笑いのその向こう、広場に隣接する木造の娼館から立ち上る煙と炎。

「火をつけさせたの!?」
 とっさに火事現場に向かおうとした。けれど、既に出口になだれ込んでいる他の観客の波で、すぐに動けそうにない。黙って見ているしかない。
 黒い煙の臭いが鼻腔を痛いほどに強く刺激している。

「ていうか……どうして女の子達がろくに避難してないんだ?」
 さらに信じられない事実が明らかになっていく。
「夕方からきっちりぽんと働いてもらうために、娘たちにはたっぷりぽんと休養を与えている。うちは労働条件がいいのでね。この時間はぐっすりぽんと眠っているだろう。安心して休める環境作りのために、不審者の侵入を防ぐべく鍵も掛けてある。待遇のいい店づくりが信条だったのでね」
「それ……逃げられないんじゃ……」

 何もかもが最悪。この目の前にいる娼館のオーナーは、何もかもが最悪だった。十年前、安易に誘いに乗らなくて、本当に本当によかった。

 耳鳴りがする。あり得ないのに、どこでもない遠くとしか判らない場所から、声すら聞こえる。少し疲れ過ぎちゃったのかもしれない。それでも私の体が休まることは、今しばらく無い予感がしているけれど。

『やってごらんなさい、さあ』と、声は語る。

「やだ。もしかして、私に言ってる?」
 自嘲的に笑ってみる。やってみるって、何を? そんな曖昧で思わせぶりな発言の意味するところは、今のところ一つしかない。

『力』の解放を…―――。

 緑かオレンジか紫か。はたまた、別の色を示しているのか。どちらにしろ、光なら、ここからでも届くかもしれない。遠ければ遠いほど、威力は弱まる可能性があるけれど。

『決めるのはあなたなの』

 ……やってみたら、打開策になるかな?

、落ち着いて」
 燃えている館になるべく近い所へ行こうと足を踏み出したら、コンラッドに静かに止められた。彼らしくなく瞳が揺れていた。

「……コンラッド? 私は大丈夫よ? 心配しなくても、危険な真似なんてできないし」
「それはそうなんだが……」
 コンラッドは何か言葉を探しているみたいだった。躊躇いがちに私を眺めていた。私はぼんやり、この人にも言えないような難しいことがあるのかなんて、どこか見当外れに考えていて。

「心配と言うよりは……なんだか君が……」
 彼がやっと口を開いた瞬間だった。



 ふわり。

「……あ……」
 不自然に吹いた風に我に返ると、目つきのまるで変わった陛下が、空中に浮いていた。
 間違いもない。上様モード、発動中だった。










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  ★あとがき★
  今回は二人のおじさんが頑張るお話でしたね(爆)
  きんぱち先生似のおじさんの極悪っぷり。ヒクスライフさんは、格好良いおじさんでしたね。
  またヒロインの新しい一面が明らかになりましたが…どうなることやら…(思案中)

  ここまで読んでくださって、ありがとうございます。
  ゆたか   2006/11/11

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