私の予感って結構当たる。
 何かが終わるときも、始まるときも。



   【愛のままに】





 すらりとモデルのように綺麗な姿勢で浮き上がって、陛下は威厳のある漆黒の瞳でルイ・ビロンを見下ろしていた。陛下を怒らせた男は、得意の「ぽん」も出せないでいる。

「……日々の糧を与える善人の仮面を被り、その実、年端もゆかぬ少女を食い物にして、搾取と蹂躙を繰り返す……」
 もうおなじみの役者口調。スーパー魔王モード。隣でコンラッドが満足そうに微笑んでいる。…本当に満足そう。

「……挙げ句の果ては悪事が露呈すれば、開き直ってすべてを灰に帰そうと火を放つ。すわ道連れかと思いきや、己だけはのうのうと生き延びんとは……」
 ヴォルフラム閣下は、いつものことだと言わんばかりに欠伸を続けている。グレタちゃんは瞳を輝かせて陛下を見つめている。皆、思い思い。

「父母兄弟の糊口をしのぐべく異国へ渡りし孝行者を、憐れむどころか非道な仕打ち。金に群がる愚民は騙せても、余の炯眼は誤魔化せぬぞ!」
 私はなんだか……ぼんやり見てた。

 今までとはどこか違う気分だった。何が、って訊かれても答えられないんだけど。普段よりも切れ長になった陛下の瞳に何かを見たのかもしれない。

「人の皮を被った獣めが。否、獣にも掟と倫理はあろう、それさえも持たぬ外道など生きる資格なし! 死して屍拾う者なし、野晒しの末路を覚悟いたせ!」
 右腕を天高く掲げてから派手に振り下ろし、人差し指をルイ・ビロンに突きつける。突きつけられた本人は、よろよろと数歩後ずさる。

「悪党といえど、命を奪うことは本意ではないが……やむをえぬ、おぬしを斬……えぐしっ」

「あ」
 決め台詞を言い切ろうかという惜しいところで、アクシデントが発生した。火事からくる黒煙と粉塵に、耐えられなくなった陛下の鼻腔がクラッシュしてしまった。
 …あわわ陛下!

「陛下……鼻、鼻水」
「ええい忌々しいっ」
 コンラッドが差し出したちり紙を少々荒っぽく受け取る。きっちりかんで、丸めてポケットにしまう。ポイ捨てしない主義。

 その合間にヴォルフラム閣下が、必死の様子で助け舟を出そうと画策する。
「何をしているコンラート、こういうときこそ寒い冗談で、間を繋ぐのが保護者の役割だろ」
「……えーと……」
「脳味噌のネタ帳を探してる場合か!?」

 珍しい二人の漫才(?)などお構いなしに陛下は改めてルイ・ビロンに向き直った。食指をまた突き出す。
「……悪党といえど、命を奪うことは本意ではないが……」
 何事もなかったかのように一部再生。
「……やむをえぬ、おぬしを斬るッ!」

 突如として陛下の真後ろの地面から水が噴き出す。いや、少し私に掛かったそれは、温かかった。蒸気も立ち上る。…間歇泉だ。噴き出した温泉が、角と牙のある三匹の透明な龍になった。

 二体は火災現場に猛然と跳びかかり、残る一体は陛下の腕に擦り寄ってから、過たずルイ・ビロンに絡みつく。
 龍に一息に飲み込まれたルイ・ビロンは、お腹の辺りでジタバタもがいている。悪いけど、ちっとも気の毒に思えない。まだ足りないくらいだわ。

「おかしいぞ」
 納得いかない表情で、ヴォルフラム閣下が低く呟いた。

「龍だと? おかしい、あいつの魔術がそんなに上品なわけがない」
「ヴォルフ、それは言い過ぎだろう」
「そうですよー、閣下」
「いーや明らかにおかしい。あっ、もしかして愛人でもできたのか!? それでそいつにいいとこ見せようとしてるんじゃ……」

「……かっこいーい……」
 グレタちゃんの呟きで閣下とコンラッドは同時に振り返る。今やグレタちゃんの眼差しは、陛下への尊敬と憧れでとろけそうだった。私達三人はほぼ同時に苦笑した。
「可愛い愛人ですね」
「娘にいいとこ見せたかったのか」



       *       *       *



 いつものように陛下がお倒れになったのは、娼館の鎮火が済んでのこと。

「……よ……」

 グレタちゃんは何か手助けができないかと姿を消して、ヴォルフラム閣下はそんなグレタちゃんを探しに行って、コンラッドはヒクスライフさんと一緒にルイ・ビロンを送り出しに行った。

 もう今後はきっと、あの自己中な商売人に商品となることを強要されることはない。必然的に倒れた陛下の傍にいながら、私はそんなことを考えていた。陛下にはどれだけ感謝しても足りない。陛下本人はただ単に正義のためだけに行動したのだとしても、結果的に私はそれで助かったのだから。

 そんな陛下の声らしいものが聞こえて、空耳かと疑いつつ、私は口を開いた。
「え? 何か言いました?」
「お主が持ちし諸刃の力……何のためにあるか、よく考えよ」
「……陛下?」

 そのときの陛下は、なんだか変だった。力を使い果たして、この後はずっと眠るはずなのに、うっすら目を開けて私を見ていた。しかも、どちらかというとスーパー魔王モードで。こんなこともあるのか、と驚かされっぱなしだった。

「お主は他の魔族と違って精霊の助けを必要とせぬ。そればかりか、その能力は異様に多岐に渡る。……それはいかに?」
 なんだか続編ものの次回予告みたいなセリフ。「次回、の知られざる秘密」とか。

「あはは、ひょっとしたら、眞王陛下でもご存知ないかもしれませんね」
 突拍子もない固有名詞を出したのは、単純におかしかったから。陛下は顔をしかめたけれど、咎めるようなことはなさらなかった。本当は日差しが眩しかっただけかもしれない。

「よく考えよ。無意味ではないのだから」

「……え?」
 問い返したけれど、陛下はもう答えなかった。すぅすぅと、規則正しい寝息を立てている。今度こそ、スーパー魔王モードは終わったみたいだった。

 なんだったんだろう、今の?

「それはいかに」
 そんなのこっちが訊きたかった。陛下だって知らないことを、平凡な魔族の娘の私にわかるわけがない。…なんてね。ユーリ陛下は元より異界で育ったから、私よりも更に問題を解く術なんて持ってないだろう。ましてや、精霊のいない魔術なんて。

「……『の知られざる秘密』、かぁ」
 本当にどうして、私は『力』を持ってるんだろう。こんな大事な賭レースになるほどの『力』を。



 それから、しばらくしてから、心なしか疲れて見えるヴォルフラム閣下が戻ってきた。グレタちゃんを大人しくさせるのは諦めたらしい。
 陛下を膝枕で看病すると言われたので、私はその場を任せて、女の子達の救済活動に加わることにした。

 娼館から救出されたのは、全部で百人くらいはいそうだった。思ったよりは多い。それに対して、手当てをする人数は充分とは言えなかった。野次馬ならたくさんいるんだけどね…。

「さってと。まずはあなたからね」
 なるべく明るい声を出すように努める。腕まくりをして、一番近い場所に座り込んでいる女の子の顔を覗き込む。
 彼女は無表情で俯いていた。それでなくても顔が煤で真っ黒で、彼女の美貌は台無しだった。

「怪我はないみたいだね。まずは顔を洗おうか。今の状況で水が足りてるかわからないから、温泉を使うかもしれないけど」
「泉水ならば美容にいいと思いますよ」
 応えたのは女の子ではなかった。

 私は振り返った。鮮やかな赤の髪が揺れている。懐かしい人がそこにいた。
「……アニシナさん?」

「久しぶりですね、。いつぞやか、私が強い男を求めて旅をしていたとき以来ですか。まあ、今回も同じ目的なわけですが」
「……やっぱりアニシナさんだ」
 アニシナさんは女の子の前にかがむと、有無を言わさず泉水に浸した布を当てた。彼女が嫌がらない程度に擦ると、そこから白い肌が姿を現した。

 頬に涙がつたって、さらに煤が洗い流された。
「……あったかい」
「そうでしょう。やはりこちらで正解だったようですね。これを使ってさっぱりしてしまいなさい。それで、
 アニシナさんは、こちらが戸惑うくらいに、てきぱき女の子に指示した。そして出し抜けに問う。
「我らが魔王陛下の元に仕えているそうですね」

 魔王という言葉で人間の女の子が取り乱したりしないか一瞬焦ったけれど、幸いにも彼女は聞いてなかったようだ。彼女は黙ってゆっくりと顔に布を当てていた。
「はい」
「貴女が以前口にした、『力』の使い道の件は、踏ん切りがついたのですか」
 自分の能力が大きい権力の下で乱用されたら怖い……。アニシナさんには、こういうことを喋った覚えがあった。ちなみに、それがあるからか、実験女として知られる彼女の「もにたあ」になったことはない。…いや、関係ないかもしれないけれど。

「貴女は納得して、追従するのを承諾したのですか」
「アニシナさん。相手は偉大なる陛下で、しかも直接にはウルリーケ様から頼まれたんですよ? 一旦はたとえ渋々でも首を縦に振らざるを得ないですよ。……まあ、当の陛下は、私利欲のない方で、結局は杞憂だったわけですが」

「それは結果論でしょう。もし魔王陛下が、例えば戦争がお好きだったらどうしたのです? 貴女は今頃戦場の最前線にいたやもわかりませんよ」
 正論。毅然と目を背けずに、言いたいことを言う。アニシナさんはそういう人だ。それは前から知っていた。

 対する私は。
「……でも、とりあえず今はこれでいいんです。それに、陛下だけじゃなくって、貴族にもいい人はいるし」
 それは嘘でも妥協でもなかった。私は彼女と違って才知や度胸が足りないかもしれないけど、ウソを吐かないことならできる。なら、そうすればいい。

 でも、アニシナさんは僅かに眉をひそめる。何かまずいことを言ったのだろうかと思ったのも束の間、こめかみに指を当てて低く呟かれる。
「ああ、やはり……」
「な、なんですか、アニシナさん」

、貴女には、男ができたのですね?」

「――――はい?」
 何の話?
「やっぱりそうなのですね! つい最近コンラートとの仲が噂されているのを耳にしましたが、まさか本当だったとは。嘆かわしい!」

「……な、嘆かわしいですか……?」
 動転しすぎて照れる余裕もなく反復する。アニシナさんは力強く首肯する。

「貴女こそは私と同盟者になれると思っていたのです。女性の地位を向上させるための同盟を!」
「は、はあ」
「だのに、これでは男共に強く対抗できぬではありませんか! 残念無念です」
 うーん、それって、私が独り身だったら、必ず同盟者になっていたということかな?

 なんにしろアニシナさんの立ち直りは早かった。うなだれていた顔を勢いよく上げると、普段と同じ調子で続けた。
「話が少々それましたね。。後悔はしていないのですね?」
「はい、アニシナさん」

「わかりました。もうこの話題は、終わりにしてしまいましょうか。貴女の患者が待っていますよ」
「……は、はい」
 なんか、よくわからないんだけど…。アニシナさんて、本当にパワフルだよなあ〜。これは同じ女性として見習うべきよね。頑張らないと。

、なんでアニシナがいるんだ?」

 振り返ると、いつの間にか戻ってきていたコンラッドが、私とアニシナさんを不思議そうに見比べていた。素直に胡散臭そうな目つきになっているアニシナさんに代わり、慌てて説明する。
「旅行の途中なんだって。お帰りコンラッド」
「……ただいま。お久しぶりです、アニシナ」
「いえ、私のことはお構いなく。今忙しいので」
「はあ……」
 挨拶もそこそこに、アニシナさんはすたすたと移動してしまった。これ、いわゆる「女を盗られた恨み」ってやつなのかな。あの人も女なのに…。

 おかしくてつい含み笑いをすると、そんな私を見たコンラッドも、なぜか愉快そうに笑った。
「どうした?」
「ううん、ちょっと。私って愛されてるなぁって思って」
「今頃気づいたのか」
 悪戯っぽく呟いて覗き込まれると、やっぱりどきどきしてしまう。そうしてる場合じゃないって、わかっているのに。今は光のとしての仕事があるのに。

「そういう愛の話じゃないんです」
 拗ねた振りをして、私も歩き出す。陛下のことが気がかりなのか、彼は追いかけてこなかったけれど、肩を大げさに竦める気配があった。睨んでなんか、やらなかったけどね。


 私って周りに恵まれているね。友人も上司も彼も。

 みんな大好き。好きの意味はそれぞれ違うかもしれないけれど、やっぱり愛してる。その人たちのためなら惜しみなく『力』を使えるわ。

 あ、さっきの陛下は、このことを言いたかったのかしら。
『力』を使うたびに迷っている私を、励まそうとしたのかもしれない。

 新しい何かが始まった感触が、確かにしている。
 たぶん私の中の光を遮っていたものが、一つ崩れたおかげだろう。










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  ★あとがき★
  まだヒルドヤード編終わってません(苦笑)。だ、だってまだ、あの問題が…。
  なんだかクサい締めくくりですね。でもどうかお気になさらず。たぶん、意味がありますので。
  管理人自身これでいいのかと躊躇っていることは内緒です(言ってる!)。

  ここまで読んでくださって、ありがとうございます♪
  ゆたか   2006/12/10

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