陛下が本格的に目覚めたのは、約二時間後だった。
 早い覚醒だ。しかも今回一連の事は、ちゃんと覚えているらしい。

「なあさん、おれ、あんたに何か言ってたっけ?」
 ある瞬間を除いて。



   【願いが叶いますように】





「なんか、倒れてからちょっとの間だけ意識があったんだよな。でも記憶がイマイチ曖昧でさ。さんと何か喋った気がするんだけど」
 私は陛下の目をしっかりと見た。別段、いつもと変わるところはない。覚えている振りをしている気配はない。
「……何も、言ってないですよ?」
 少し考えてから、そう返事した。なんとなく知らない振りをした方がいいと思ったからだ。あんなにしっかり私と会話をしていたのに忘れてるのは、何か特別な意味があるはずだ。…見当はつかないけれど。

「……そっか。夢ならいいんだ」
「よくないです。陛下はおとなしくしててください。なんなら私が陛下自身を治療して差し上げましょうか?」
「えっいやいいよ! おれ平気だし……」
 陛下は弱ったように眉を下げた。もとい、本当に弱っている。まだ体力が十分回復してなくて、そのことは誰の目にも明らかだ。

 陛下の隣にはヴォルフラム閣下とコンラッドがいた。たまたま通りかかったアニシナさんもいる。
 コンラッドの顔には、心配の文字が読めるようだ。絶対、私が呼ばれたのは、陛下のストッパーをするためだ。陛下の少女達を助けたい気持ちもわかるけど、それで体を壊されたら私も嫌。

「ベテランなめないでくださいよ? 今の陛下のご様子で、治癒能力を発揮できるとはとても思えません」
「う……説得力ある。でも、おれ……」

「いいじゃないですか、。やらせておやりなさい」
「もうっ、アニシナさん!」
 こういうときだけ男の味方!? さっきまで怒っていたくせにー。

「アニシナ、陛下はひどくお疲れで……」
 コンラッドがあくまで食い下がったけれど、今のアニシナさんは絶好調だ。
「そういう過保護なお取り巻きが、軟弱な男を作るのです。ぶっ倒れるまで魔力を使ってご覧なさい。なんでしたらわたくしが担いで帰って差し上げましてよ」

 言うだけ言って、彼女は颯爽と次の患者を診に行ってしまった。取り付く島もない。途方に暮れながら陛下の方を見やると、陛下はなぜか呆然としていた。
「……なんか……すげえいいよなぁ……アニシナさん」
 コンラッドはともかく、いつもなら「浮気かぁこのへなちょこぉ!」と怒鳴り散らすヴォルフラム閣下まで、気の毒そうな顔をして陛下の肩を叩いた。噂には聞いていたけれど……、やっぱりすごいんだ。アニシナさんの男泣かせ。

「まあ、アニシナさんがああ言ってくれるんだったら、おれも行っていいだろ?」
「陛下ったら……」
 私は言葉に窮した。確かに、私だってアニシナさんには逆らいにくいし、陛下が倒れたときには本当に担いで帰ってくれそうだ。でも私には、今の陛下だって十分に患者に見えるんだけど……。
 そのときだった。

「ミツエモン殿!」
 いつの間にか戻ってきたヒクスライフさんが、少し離れた場所から懐かしい偽名で陛下を呼んだ。怪訝そうにした陛下は、コンラッドに支えられながら、とりあえずそちらの方に向かう。

 話は何やら長くなりそうだった。しばらくは、陛下の魔力の消耗を心配する必要もなさそうだ。ヒクスライフさんのお陰で助かった。
 私の周りは急に静かになった。今何をするべきか、急に判らなくなる。離れても、大丈夫かな?
「……あの閣下、私は治療に戻ってもいいんですかねー。それとも、この場合は陛下についてた方がいいですか?」

「治療に当たっていろ」
 いちいち行くのを面倒そうにしているヴォルフラム閣下に尋ねると、閣下は事も無げに答えた。弱い風が吹いて、金髪が少し閃いた。
「今のお前はそう望まれているし、望んでいるのだろう?」


 それからは、私は日が暮れるまで救済活動を続けていた。
 最初は陛下達のほうを気遣っていたけれど、いつしか目の前の少女達のことに夢中になっていた。そして、あらかたの作業が終わった頃には、もうくたくたに疲れていた。



       *       *       *



 ヒクスライフさんからの申し出の内容を知ったのは、夜、宿に戻った後だった。

「えっ、グレタちゃん、ヒクスライフさんの子供になっちゃうんですか?」
「違う違うっ! 留学するんだよ、ホームステイ!」
 陛下は、間違っちゃ困るといわんばかりに慌てて訂正した。そして言葉を続ける。

「ヒクスライフさんには、ベアトリスっていう女の子がいてさ。ああ、前の旅でおれのダンスデビューの相手をしてくれたんだけど、さんはわからないかなぁ。それでさ、そのベアトリスと、うちのグレタと一緒に勉強させないかと言われたんだ。一年の半分だけでも、ってさ」
 現在、陛下は私とコンラッドとグレタちゃんの部屋にお邪魔している形だった。でもグレタちゃんは今ここにいない。トイレにでも行ったのかな。まぁ、本人がいたら話しにくい事だから、ちょうどタイミングは良かったんだけれど。

 私はベッドの縁に座りながら話を聞いていた。あまりのことに驚きすぎて、陛下に椅子を勧められずにいた。でも陛下は、そんなこと気にも留めていないみたいだ。
「陛下……、もう、グレタちゃんは、そのことを知って……」
「うん。ヒクスライフさんがその場にいるうちに、ちゃんと話したよ。グレタが泣いちゃってさ、ホント男親として、参っちゃうよなぁ。もらい泣きしそうだった。子供っつっても隠し子だけどさ」
 言っているうちに、陛下はまた目頭が熱くなってきたようだった。ちょっとだけ不自然に横を向いてから、また向き直る。

「親子の問題だからさ。このことは、おれが直接さんに伝えようと思って。でもさん忙しかっただろ? だからちょっと遅くなっちゃって、ごめんな」
「いえっ、そんなことはないですっ。わざわざおこし頂いて、誠にありがとうございますっ!」
「はは……、なんか、デパートのアナウンスの言葉みたい、それ」
 思わずがばっと立ち上がって、ぺこりとお辞儀する私。陛下は面白そうに笑って、部屋の出入り口に向かった。見送りするべく、私も向かう。

「せっかくグレタちゃんと仲良くなれたのに、寂しくなりますね……」
「うん。でも、とりあえずは一ヵ月後には帰省させてくれるらしいから。じゃ、おやすみ! いー夜を!」
 なぜか意味ありげな笑顔を残して陛下は隣の部屋に入って行った。パタンと戸が閉まる。私もこっちの扉を閉めようと思ったとき、コンラッドが廊下の向こうから歩いてくるのが見えた。

「あ、おかえりなさいー」
「ただいま」
 結局、コンラッドを中に入れてから扉を閉める。グレタちゃんはまだ帰ってこない。トイレ、長いなぁ。

「さっき陛下が話してくれたんだけど、グレタちゃん、カヴァルケードに行っちゃうんだね。淋しいなぁ」
「そうだな。眞魔国から出発するときは、夢にも思わなかったけど」
 コンラッドは苦笑して言った。確かにそうだ。陛下のご落胤と嘘をついて、陛下を暗殺しようとしていた子が、まさか愛くるしい本物のご落胤になっちゃうなんて。世の中どう動くかわからない。

「そうね。もし陛下が陛下じゃなかったら、まだ子供といっても極刑になっていたかもしれない。罪を許そうとするだけじゃなくて、娘として育てていくなんて……本当に、ユーリ陛下に仕えてよかったなぁ」
「……参ったな、本気で妬けそうだ」
 しみじみと呟いていると、いきなり彼が後ろから抱きついてきた。それどころか耳元で甘く囁かれて、私の体温が急上昇する。

「こ、コンラッドっ! 今グレタちゃんが戻ってきたら、どうするのよ! 教育に悪いでしょ?」

「たぶん戻ってこないよ。今夜からは、ユーリ達と親子水入らずで時を過ごすそうだから」

「……へ!?」
 今なんと!? まさか、今夜から私とコンラッド二人っきりでこの部屋にいるってことですか!

「座って、
 私の動揺なんてお構いなしに、コンラッドは私を再びベッドに座らせた。そして、自分の荷物を引っ張り出して、がさごそと何かを探し始めた。いったいどうしたんだろう……。

「あった」
 コンラッドは片手に乗るくらいの小さな紙包を見つけた。なんだか子供っぽく笑うと、素早く中身を取り出して、軽く握り締める。そしてまた私の所まで来ると、跪いて視線の高さを合わせた。

「手を、出して」
 思わず言うとおりにした。左手を、動かして。
 どうして利き手じゃなかったのか……。後でいくら考えてもわからなかったけれど、とにかく彼は、差し出した手を恭しく受け取った。指先から触れた彼の掌は温かい。

「良かった、ちょうどぴったりだ」
 彼は私の指に何かを嵌めた。よく見てみると、それは……。
「ゆび、わ……?」
 薬指に輝く、金色の輪。飾りはないけれど、細身でシンプルなのがお洒落な指輪だった。

「うん。昨晩ライアンを訪ねる途中、商店街の端の方で開いている露店で見つけたんだ。ちょうど女物だから、君に合うかと思って」

「……露店……あっ、じゃあ!」
 今度は私が荷物を探る番だった。

 きょとんとしているコンラッドに説明するのももどかしく、急いで荷物のある壁際へ駆け寄る。目当てのものが見つかるまで、すごくじれったく感じられた。

「あった!」
? どうしたんだ?」
「あのねコンラッド。その露店、たぶんあたしも行ったの。ヒルドヤードに着いてすぐに」
「……そうなのか」


『意中の男にプレゼントでもしますかね?』


 皆と宿に向かう途中。ふらりとはぐれてしまった私は、小さな露店を見つけた。
 私は露店のおじさんに恋人がいるのをたちまち見抜かれてからかわれて、結局最後までペースにのせられっぱなしだった。まったく、人に物を買わせるのが得意というか……。すごい人間もいたもんだと思うわ。

 それで、つい買ったのが、これだった。
「コンラッドなら」
 私の取り出した紙包も小さかった。彼のところまで戻ると、私はそっと包みの口を下に向けた。

 私の掌に、それは転がる。嵌めてもらったばかりの指輪に当たって、コツンと音を立てた、それもまた指輪で。
 ただ、コンラッドに贈りたいのは、銀色。

「……手、出して?」
 無意識かもしれないけれど、彼が差し伸べたのも左手だった。私は思い切って、私と同じ薬指に通してみた。すると奇跡的にぴったりだった。

「お返し。でもね、剣を握るときとかに邪魔だったら、外してもいいよ」
「――ありがとう、。絶対に外さないよ」
 仰ぎ見た彼は深く微笑んだ。口元は確かに淡い微笑の形なのに、雰囲気はすごく笑っている、そんな不思議な表情をしていた。
 もっともそれは、私も同じなのかもしれない。嬉しくて幸せで、もっと感謝を口にしたいのに、なぜかできない。不気味なくらい穏やかな気分だった。

 コンラッドが、私の髪に触れながら呟いた。
「すごい偶然だな。同じ日に同じ場所で、同じ物を買っていたなんて」

「そうだね! それにしても、あのおじさん、私が来たときには『男物の指輪しかない』って言ってたのに……。あれから新しい入荷が来たのかな?」
「ああ、俺のときは『女物しかない』と口にしていたが……。露店にそうそう品物が入るものかな」

「変なこともあるのね……」
「もう一度あそこを訪ねてみるのもいいかもな。……
「えっ?」
 彼がいきなり屈んで、キスをしてきた。私は反射的に身を引こうとしたけれど、腕を掴まれていて不可能だった。

 顔の間近で、コンラッドは確かに苦笑して謝った。
「ごめん、我慢できない」

「あ……」
「二人っきりていうのが、やっぱりまずかったかもな」
「ちょ、ちょっと待ってコンラッド……。それってつまり」
「そうだ」
 返事を聞いた途端、頭の中が真っ白になりかけました。

「でっでも、隣に聞こえるよ……?」
「なるたけ静かに協力してくれ」
 いろんな意味でムリー!
 叫びたい衝動を堪えているうちに、コンラッドは私をあっさり抱き上げた。部屋の奥のベッドに移動する。

 今までにない展開についてけない。え、私はどうするべき? 全力で抵抗するべき? それとも諦めて、静かに協力するべき?
 コンラッド……。

「愛している」
 囁かれたその一言で、いっぺんに力が抜ける。本当にこの人はずるい。ベッドに横たえられても、少しも身体を動かすことができない。逃げるなんて、できない。



       *       *       *



『……こ、コンラッド』
『ん?』
『私……はじめて……なの』
『……優しくする』

 ――なんか、こんな会話の後は、よく思い出せない。
 従順に静かにするよう心掛けたとか、たくさん名前を呼び合ったとか、たまに恥ずかしい感覚が浮かび上がることがあるけれど、ほとんどは曖昧だ。
 ただ次の日、私がいろんな意味で温泉に行けない状態だったのは、すごい生々しい現実だった……。ちなみに、お土産を買いに行く振りをして誤魔化しましたトサ。

 私たちは三日間ヒルドヤードに滞在し、陛下の捻挫は完璧に治った。陛下は温泉に入りすぎてお風呂が大好きになってしまったと言っていたけれど、「しずかちゃん」の例はよくわからなかった。ニホンで有名なキャラなのかな?

 グレタちゃんと涙のお別れをした後、やっと眞魔国に帰った。今までで一番長い旅だったと思うのは、私だけ? それにしても、待ち構えていたギュンターさんの出迎え方がすごかったな。苛酷な体現修行をしてきたとかで、心底悟った風を装おうとしたのだ。失敗しちゃったんだけどね。



       *       *       *



 一段落した後、私はウルリーケ様に会いに行った。今回のことを報告するためだ。特に、陛下の気になる発言のことを。
 そこに義務はない。けれど、今回ばかりは特別だと思った。だって、私も関係あることだもの。このことを一番安心して相談できるのは、きっとこの方だから……。


『お主が持ちし諸刃の力……何のためにあるか、よく考えよ』


「……そうですか。陛下がそのようなことを……」
「ウルリーケ様、陛下が何を言いたかったか、わかりますか……? 確かに『力』のことは前から疑問に思っていたけれど、私には全然わかりません」

「……私にもわかりません」
 思慮深い目をして、彼女はゆっくりと言った。
「ただ、何か隠されたものがあるのかもしれませんね。ひょっとしたら、眞王陛下にかかわるような……」
「し、眞王陛下っ?」
 そんなに大きな問題なの!?

「とにかく、無視してはいけない気がするわ。このことは、私からも眞王にお伺いしてみましょう」
「……はい」

「……だから、時間があれば、また遊びに来てくださいね。あなたがまた無事に旅を終えることができてよかったわ」
 ウルリーケ様は、最後の方を悪戯っぽそうに付け加えた。私は笑ってお辞儀をして、眞王廟を出る。冷たい風が右から左に吹いて髪をさらった。今日はどんよりとした曇り空だ。

 ――嵐がくる予感がしている。

「癒しの緑……まやかしの紫……元気な……」
 運命は私に何をさせようとしているんだろう。考えても考えても答えは出ない。出たって仕方がない。乗り越えるしかないのね。

 でも、あの人となら。
「あっ」
 向こうからコンラッドが歩いてくるのが見えた。迎えに来てくれたみたい。私は手を振って走り出す。自然と笑みが零れた。

 この人なら、一緒でもいいと思う。
 私が何者だったとしても、これからどんな出来事が待ち受けていても、コンラッドは銀色をした希望の光を持っているから。










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  ★あとがき★
  …はい、いろんな意味ですいません。年明け早々土下座ものです。
  私が小心者なので、中途半端に裏寸前描写があります(泣)
  無駄に長いし、クサい締め括りだしね。でも、これ以上改善できなかったですよ。はい。ごめんなさい!

  ヒルドヤード編もとうとう完結いたしました。
  この章だけサブタイトルを「〜〜に」と統一していたわけですが……、
  原作沿いなので、このままいくと「あの」章に進むわけです。
  とりあえず外伝をはさもうと思っています。そのあと勇気を出します。

  ここまで読んでくださって有り難うございます☆
  ゆたか   2007/01/01

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